表題の言葉は、米国サイト支援部長のチャールズ・カストー氏が、東日本大震災に不眠不休で職責を果す東電福島第一原発の吉田昌郎所長に発した質問である。
アメリカって、原発事故をその初期から長期間の戦いと位置づけ、ロジスティックスについて気を配っているなと感じます。
日本なんて「北国の雷」で北鳴(キタナリ、つまり着たなり)を強いられていたんですから…
これじゃ勝負になりません。
「被災者の方々が避難所で食うや食わずで寒さに震えておられる中、我々の待遇を良くすることは出来ない」
カストー氏はこの言葉に絶句している。
私だって吉田所長の言葉の意味は痛いほど分る。
分かるがストイック過ぎる気もする。
原発事故との闘いのタイムスパンをどう考えたかにある。
短期なのか、長期なのか。
吉田所長は現場指揮官として、短期の戦闘プランに従っていたと思う。
カストー氏は言う。このプランは、東電トップの長期の戦争(原発事故対応)プランがあってはじめて、現場プランが機能するものである。
情報に疎くて鈍い東電トップには、プランも何もなく、怒鳴りまくる菅首相や優柔不断な海江田万里経産大臣たちの間で右往左往していたに過ぎないのである。
この吉田所長(第一原発)と対比される増田尚宏(第二原発)所長がいる。
吉田所長は、3月12日、協力企業の家族持ちの人たちをいっせいに帰宅させている。
一方、第二原発の増田氏は、津波が来た瞬間に全部の門を閉めさせ、これから始まる危機に全員の足止めをしたのである。
この一事だけですべてを論じるには、無理を承知だが、日本的リーダーは情の吉田氏、西郷隆盛である。
一方、非情のリーダー増田氏がいることで、第二原発はあそこで助かったのである。
全く対照的だが、この二人の秀れたリーダーが、第一・第二原発の事故をあそこで止めたのである。
特に今回、稀有なリーダーに恵まれた第一・第二原発は、これ位の事故で終り幸せであった。
この二人は自己責任のもとに、ブレずに現場を仕切ったのである。
この現場リーダーの二人をして最善の戦いを貫ぬかせた背景には、アメリカの情報力もある。
アイロボット社の軍用ロボット、パックポットもあったが、一番は、アメリカのモニタリング力である。
1万8千m上空から、無人偵察機グローバル・ホークが、炉の温度から放射線量を撮り、提供してくれていたのである。
このリアルタイムの情報なくして、現場が戦うことは困難であっただろう。
この少ないレポート内容で、リーダー論を纏めるには、不見識の謗りを招くであろうが、トップと現場のリーダーは、互いに厳しい自己責任意識と正しい見識を持ち、正しい情報をもとに闘うべきで、特に長期戦には、ロジスティクスを考え十分な備えをすることにある。
これらなしの闘いは不毛に帰するということである。
理事長 井上 健雄