学ぶ
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
光孝天皇(古今集)我が衣手に 雪は降りつつ
みなさん、読めましたか。(最後尾に解答)
芹・薺・御行・繁縷・仏の座・菘・蘿蔔。こんな春の七草を、愛する人の為に食べて貰おうと雪の降る中で採っている。
なんとロマンチックではありませんか。
こんな七草を戴くと、たいへんなエネルギー湧くでしょうね……
これを西洋風にバタ臭くすると――
われわれはどこから生まれて来たか。
愛から。
われわれはいかにして滅ぶか。
ゲーテ(シュタイン夫人へ)愛なきため。……
となる。
こうした好みも経験を重ねるうちに変化するらしい。
私は、詩文で最も好きであったのは新古今和歌集であった。それが今、古今和歌集となっている。たぶんもう少しすると万葉集になるのだろう。
しかし100才でも過ぎるとまたゲーテやバルザックに戻るような気もする。
みな様もいかなる心の変遷を辿り、どんな心境で新春を迎えていらっしゃるのでしょう。
私の心境は、ある程度山谷越えて生きてくると、どんな些細なこともしっかり意欲したことをして、成功も失敗もしっかり噛みしめるべきだと思う。(谷は小さかったので小さく)
「われ事において後悔せず」と宮本武蔵が言ったそうだが、たぶんこれはすべてうまくいったということでなく、失敗(死に至るものではないが)も多々あったが、意思を通したことで、失敗の中から深く学び成長したことを指すのだろうと解釈する。
そんなこんなで今年もしっかり考えて進みたい。
1月の挨拶の締め括りは、サー・チャールズ・スノーの古典的な発言を記して了えたい。
われわれはみずから教育するか、滅びるかだというのでは、少しばかりメロドラマ的な言い方で、真実とは言いにくいだろう。みずから教育するか、そうでなければ生きながらえて我が国が急激に衰亡していくのを眼(ま)のあたりに見る破目になるだろう。
かくならない為に私たちは、いつも学び続け、人間的な成長の結果、わが組織を飛翔させる力を生み出して欲しい。
(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)
理事長 井上 健雄