理事長 井上 健雄
ベンゼンによる再生不良性貧血を、サンテッセンがスウェーデンで自転車タイヤ製造に従事している従業員に見つけ、発表したのは1897年。
その後ルノワとクラウデが、フランスでドライクリーニング業務の従業員に体内出血を見出している。
1926年にはグリーンバーグとその同僚が、ベンゼンを使用する労働者に異常に低い白血球数を認めている。
そして1928年、ドロールとボルゴマーノが、ベンゼン誘因による白血病についてはじめての論文をまとめた。
1946年、このようなベンゼンの毒性から、米国産業衛生専門家会議(ACGIH※1)がベンゼン曝露の上限を決定した。100ppmであった。この当時でさえ、25〜10ppmでの中毒事例があったにもかかわらずである。
翌年1947年には50ppmに下げられ、またその翌年には35ppmに。米国石油協会(API※2)は絶対安全なのは0ppmと結論しながらも、50ppm以下と勧告。そしてまた1957年には、25ppmに下げられた。
1950〜60年には、世界各地で被爆労働者が出ている。1978年、米国内の消費者商品からベンゼンが自主的に撤去された。
1987年、ベンゼンの新基準として1ppmが採用された。しかし1996年、1ppmの暴露でも病気になることを示す研究がなされている。こうした経緯には、労働安全衛生局(OSHA※3)の活動も大きな役割を果たしたのである。
2001年、車の燃料にベンゼンが含まれており、一般の人々へ暴露リスクを与えていることがレポートされている。ナイジェリアの道路端で回収ガソリンを売っている人々の26%は、好中球減少症である。(一般的にこの病気の罹患率は2〜10%である)
将来のための教訓。
ベンゼンの毒性について認識されながら、1世紀にもわたって予防措置が取られなかったのである。つまり、毒性についてのコンセンサス会議などの合意形成組織と政府の両方が、十分な行動をしなかったのである。
そして今なお、ガソリンによるベンゼン被爆は続いているのである。
規制がゆき過ぎても経済へのダメージとなるし、しかるべき知見を待っていても対応が遅いと働く人(一般の人々)への健康被害や死のダメージともなる。
公衆衛生のあり方について、万人が深く考え、対処すべきである。
私たちの土壌汚染評価についても、易きに流れず、しかも過度の行き過ぎにならないことが重要である。その為の健康リスク評価に力を注いでいる。
ベンゼンによる労働者の安全・安心への経過を他山の石としたい。
※1 ACGIH | : | American Conference of Governmental Industrial Hygienists 米国産業衛生専門家会議 |
※2 API | : | American Petroleum Institute 米国石油協会 |
※3 OSHA | : | Occupational Safety and Health Administration 労働安全衛生局 |