残暑に八つ当たりしながら・・・ 【9月】

2023/9/20(水)

この夏の残暑は異常だ。

九月九日は、私の好きな長陽の節句である。

本来の長陽の節句は、長い夏の暑さを終えて、少しづつ秋の入口の日に、酒に菊の花びらを浮かべ飲めば、健康回復と長寿に資する、ということで大事な日である。

私はいつも日本酒を熱燗にして菊の花を浮かべ、この風流に親しんだものだ。

しかるに、この暑さは風流に程遠い。

まず、菅 茶山の詩を自己流に解釈し、節句を皮肉ってみよう。

(1)酩酊して佳節(仮説)に酬(こた)へ

   醒(さ)め来(きた)れば已に曙光

   捜頭(かざ)せし前日の菊

   猶枕辺(ちんぺん)に在りて香(かんば)し

     菅 茶山(くわん ちゃざん)

〔訳:自己流〕

   佳節(長陽の節句)を肴に酒を飲んだけど

   あまり暑くて飲みすぎてしまい

   気がついたら、朝の曙光が射しこんでいたので驚いた。

   頭に挿したり飾っていた菊が、枕元やそこらこちらに散らばっているじゃないか。

   香りだけが残暑を嘆く私を慰めてくれている・・・

このように、暑い夏は、風流を薄め、詩人を少なくし、熱中症ばかりを増やしている。

何やら淋しくありませんか。

節句を祝いたいのだが、祝えば別のものになりそうだ。

 

何かを得たいと思ったら、何かを失う。しかし人は新しいものを得たがるものだ。

幕末の勤皇の志士 久坂 玄瑞(くさか げんずい)の歌を紹介する。

(2)竜田川 無理に渡れば 紅葉が散るし 渡らにゃ聞かれぬ 鹿のこゑ

久坂 玄瑞

 

   こうした矛盾する思いに私が出す結論は、久米 正雄の句としたい。

(3)生き身の 我が血は紅(あか)し 田端(でんぱた)の蚊

久米 正雄

この句は久米の親友であり僚友でもある芥川 龍之介の自決を悲しんだものである。

君は自決して死んでしまったが、後に残された者は、悲しみ哀悼を捧げるのみである。

しかし、蚊に刺されたら、生きている肉体は痒いし、自分の血に気づくだろう。

生というものは、美しくもあり、悲しさもあり、痒さもあるという複雑さを語っている。

最後には冬を連れてきて明るく強く踏み出す人間を紹介する。

(4)雪降れば 亦 心温かく

   机上の薔薇(そうび)枯るるといへど

   吾が孤独の星座

   つねに風沙に開く

林 芙美子

 

夏で始まり、秋も出し、締めは冬ですね。

これはいいでしょう。なにか元気が湧いてきませんか。

自分が目標とする生き方は、常に風が吹き、砂まじりの中にいるが、進みゆくことで、目標の実現を企ることができるとしている。

この九月の暑さに負けつつ、何とか自分の生き方を高めたいと、4人の先達 菅 茶山→久坂 玄瑞→久米 正雄→林 芙美子の詩や歌をひっぱり出して、暑さに負けようとしている自分を叱咤激励してみました。

書いて見れば、一年の流れの大局が分り、耐えられたり、新しい道ができたりするんですよ。

本当に凄い。

こんな気持ち、みな様にも分って貰えますかね・・・

理事長 井上健雄

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