2007年6月の言葉
 駱駝か獅子か子供か 
 分析や説得の定石に三分法がある。今月は人生三分割を語りたい。

 日本には、甲斐武田の臣、高坂弾正昌信の書き遺した「甲陽軍艦」に端を発する守破離がある。
 これを茶道不白流の開祖、川上不白が、茶道の成長段階を「守は下手、破は上手、離は名人」と説き有名になっている。先生の教えを忠実に学び、習得する段階を『守』。これを経て、その学んだ型を打ち破って新しい型を創ることを『破』。しかし創った自分の型に固執すると成長が止まる。そこで自分の型も離れて自由自在の心境を『離』と表現したのである。

 こうした分類に対し、ドイツの哲学者ニーチェは「ツァラトゥストラかく語りき」の中で、人生を駱駝、獅子、子供の三様の変化と考えたのである。
 駱駝とは、キリスト教精神のもとで「汝なすべし」という神の命題を背負い生きる時代を指している。重荷に呻吟している姿が目に浮かぶ。獅子とは、ニヒリズム(※)のもとに駱駝の従順さを振り払い、「我欲す」と叫ぶが如く、社会の抑圧・価値に対し「否」を突き付け、敵対的に振舞う時をいう。しかし自由に行動しても否定をしてのことだから、新価値などを創造することはできないのである。そこで否定することもなく、教えにも捉われることなく、まったく自由に行動できる瞬間を<子供>と表現している。この整理の仕方は、なかなかうまいなぁと感心する。

 キルケゴールは「人生行路の諸段階」という本に、「美的段階」「倫理的段階」「宗教的段階」の3様を記している。これについては読者それぞれの精読を期待したい。
 妙にドイツ人のニーチェも、デンマーク人のキルケゴールも、日本人の川上不白も似ているので面白い。

 こうした概念で、私の状態を位置づけてみよう。
 売上・利益などと考えるとなかなか重荷の駱駝である。(決して楽ダ!じゃありません)沢山の仕事や難しい仕事などが入ってくると、ヤルゾと獅子となる。(決してウシシじゃありません)そしていろいろ考えている中に新しいビジネスモデルらしきものを見出すと、楽しい子ども時代である。
 私にとって毎日、毎月、毎年この三態が出てくるのである。だから私が3態論を書くとしたら、人生=X・Y・Zである。つまり(X)状況、(Y)意志力、(Z)祈りの函数の積が解となる、多次元人生方程式である。X、Y、Zを守破離と対照させている。だから現在はY。
 「破」の段階かなぁ。えぇ、「破れかぶれ」なんです。

 私流の解釈によると、X、Y、Zの中でヘゲモニーを獲得した因子がその積の中心色となり、人生を決めるんです。例えばZの比重が高ければ子供時代となる… しかしどんな時代であれ、X、Y、Zの積で人生が現れるとしたら、恐ろしい、面白い。
 私はX、Y、Zは数量というより色(空気・質)だと思う。だからいい仕事の前には清澄な雰囲気で始めることが重要だと考える。
 その上で、考えよ!行動せよ!そして祈れだ!
 みんなこの順番で頑張ろうね!

(※)ニヒリズム: ラテン語 nihil 無・虚無を意味する。F・ヤコビの使用に始まる。一切の規制の価値・秩序・権威を否定する立場。
NPO法人 イー・ビーイング
理事長 井上健雄