2006年3月の言葉
 青年へのはなむけ 
     ふだん着で ふだんの心 桃の花   細見 綾子

 わが社には、桃子さんと綾子さんという二人の才媛がいる。その名に反応し、この句を冒頭に掲げたのが正直なところである。細見さんが春をふだんどおりに迎えてのびのびと桃を見ている様子で、私の好きな句の一つである。

 私は春の自然の活き活き動く様にいつも感動し、その生の喜びのあり方の限りない美しさに触れるたびに狂うほどの嬉しさを感じる。だからこの句のように春の花をふだんの心で観ることができない。今頃になると「梅はどこで○分咲き・・・、桃を出湯と共に見れないか・・・、そして夜桜なら誰と・・・」と、春の心はふだんの心ではいられないのである。

 この春へ前向きな裏には、花粉症を克服したというより、いい加減にコントロールできる身体をもつに至ったことにある。この秘訣は、4月からの桧花粉を無事に過ごせたら薀蓄を述べるかもしれない。

 さて、あまり瑣事に感(かま)けていてはいけない。今回は、大上段に現在の資本主義の方向について意見を述べてみたい。流行の市場中心主義、拡大表現すると市場原理主義についてコメントをすることになる。

 これは、ウィナー・テーク・オールで勝者が全てを取るということで、共存思想はない。この考えの下に勝ち組が誕生し、その他は負け組と位置づけられた。

 堀江貴文氏が好(?)例である。600万の資本を10万倍以上の7000億の時価総額にした。彼の哲学の「金でできないことはない」である。しかるにマスコミ、国民はフジサンケイグループの買収行動に拍手まで贈り、フジのトップが堀江氏をいじめているとさえ言ったのである。そして選挙では、与党の幹事長までもが応援するという事象まで起こっている。

 この一連の騒動は逮捕、上場廃止で一つの結末を迎えるようだが、これはコンプライアンス違反であり、市場原理主義についての結論ではない。

 私はこうした現象を惹起させたこの市場原理主義を、私たちはもう一度問い返すべきだと発言したい。格差社会が正しい筈はないではないか。

 会社にしても顧客第一主義は当然の中で、株主のモノであるかもしれないが、まずすぐれて従業員のモノであるべきである。それを忘れ、従業員をリストラし、雇用者の区別・差別により低所得者を創りだした人を成功者と呼ぶのはおかしい。

 これだけなら企業のトップを責めれば事が済むのだが、残念ながらこれを支持・助長しているのが、従業員であり、国民である。なまぐさい日本の例より、ドイツの国民投票で考えてみる。

  ヒットラーが、1933年:国際連盟脱退→支持95%
1936年:ラインラント非武装地帯進駐→支持98%
1938年:オーストリア併合→支持99%

 この独裁者ヒットラーは、世界一美しいと言われるワイマール憲法(主権在民、三権分立、議会制民主主義)の下の民主的選挙(1932年)で選ばれ、国民の支持の下にあの間違った政策遂行となったのである。

 これに比べると小型かもしれないが、日本の○○劇場では、数ある郵政改革の中のある一つの改革案だけで賛否を決めさせ、「否は公認しない、刺客を送る、当選しても党除名」とくる。これを日本国民が認めて政権与党を圧勝させたのである。

 これが本当に民主政治なのだろうか。しかもマスコミも付和雷同で、劇場国家を激情ニッポンに煽りたてるしかできなかった。突くべき野党も醜態を演じる始末である。

 こう見てくると国民力の低下、国民の能力衰減、信義の衰え、なくした誇り等々・・・目を覆うばかりである。

 そこでまだ可能性の豊かな若き青年に告げたい。

   1.人間を磨け
   2.専門能力では誰にも負けないものを養成しろ
   3.会社よりNPOを選べ
   4.ベンチャーを起こせ
   5.出る杭になれ
   6.CSRを本気で進める会社を選べ
   7.共感できるトップの下に駆けつけろ

 そして志ある者が集まり、世の中を良いものに変えていこうではないか。平成の坂本竜馬よ!わがグループに参戦せよ!
NPO法人 イー・ビーイング
理事長 井上健雄