2006年11月の言葉
 耕す 
 「変わる」は良い意味でも悪い意味でも使われる。
 『あなたは、あの頃と変わったわね・・・』これはあまり歓迎される変化ではないらしい。
 『随分、お変わりになりましたね』これはある意味、成長とか貫禄を誉めてくれるものが多い。勿論、シニカルな人のこんな言葉は、『じじいになりよった』とか『デブになりよった』と思われていると考えたほうが良いだろう。

 変わったと言えば、『この頃の子供は…』『近頃の若い奴は…』とマスコミや大人の世界の口の端に上る。
 このことは、イジメとかDV(家庭内暴力)や最悪は自・他殺など、これまであまり起こらなかった事件が増えているからだろう。

 そうすると、やれ教育基本法の改正などと騒がしくなるが、法律を変えないとこれらを防げないのかと言うと、全くそうではないだろう。
 単に教育界が時代と環境に合わせて変化をしていないことに、多くは起因するのだと思う。
 私が思うに、子供や若者が変わったというより、大人が彼らの環境を変えてしまったことにあるように思う。

 確かにフリーター400万人、ニート40万人は少し異常かも知れない。
 でも人が変わった訳ではない。4万年前のクロマニョン人と現代人は変わっていない。たぶん。
 とすれば、変わってない人が変わっているとすれば、社会環境しかないだろう。
 つまり大人が社会を変えた結果、若者が変わったのである。壮年後期(私は自分のことをそう位置付けている)の人間として反省もしなければと思う。

 しかし一方で、若者にもよく考えて欲しい。
 この世には面白いことはごまんとあるし、面白くないこともごまんとあろう。つまり面白いことも多いのだ。
 ニートの人たちにも言おう。『自分に合った仕事がない…』それは違うよ。仕事は、世の中に必要とされてあるのだから、仕事にまずコミットメントをすればいいと思う。真剣に自己投入した上で、無茶苦茶に合わないなら転職でもすればいいのだろう。

 待つことに人生の意味があるのではない。希望は、やってくるものではない。
 希望は、自分を変えた所に見出すものである。
 未来は、自分の中にある。
 さぁ自分をカルチベイト(耕す)して欲しい。
NPO法人 イー・ビーイング
理事長 井上健雄