研鑽する日々について

2016/11/18(金)

 人びとは、基本的に膨大なインプットを積み上げ、徐々にアウトプットを形成していくものである。
 例えば長く続く音楽家にとってさえ、一人の娘、一人の息子を音楽家(食べられるとか、一流に…)育てることは至難である。
 小さい頃より家庭教師をつけたり、楽器を与え、防音の部屋をつくり、長じては音大や世界コンクールでの入賞を目指す旅をさせたりすることは、大変なものいりである。

 基本的にインプットとアウトプットは釣り合わないものである。
 しかし、才能なり、執念なり、継続の力なりをもって一たび成功を納めると、アウトプットはどんどん大きくなる。
 これらの成功者は、一人ひとり個性的であるが、共通するものは向上心である。

 例えば、あのウラディミール・ホロヴィッツは、80歳近くなっても新人のコンクールを聞きに来ていて、○○さんの第2パーツの7番目の音を聞いて、これが求めていたものだと思わず手を打ってしまったという話がある。
 いくら年を積み重ねたとしても、好奇心と新しい音を求めている。
 彼は消えているような最弱音から雷のようなフォルテッシモまでの音量、音色を自在にあやつり、88鍵を支配する演奏は、感動に尽きます。
 ショパンも勿論いいですが、私はスーザ作曲の「星条旗よ永遠なれ」のホロヴィッツ編曲と超絶演奏など絶品だと思います。
 1989年11月5日。ピアノ史の一つの時代が終わりました。
 さみしいです。

 ホロヴィッツにかまけすぎました。
 もう一度、教育のインプット、アウトプットの話です。
 人はえてして少ない教育時間で大きな収入を望むものであるが、これは基本的に失敗で終わるものである。
 子ども達は少なく勉強して、おいしく生きたいと思う。
 しかし少なく勉強すれば、一層少ない収入で我慢するしかない。

 かれらは誤解している。
 6・3制の義務教育という言葉がある。
 これはかれらが教育を受ける義務があると思っている様だが、そんなものはない。
 義務があるのは親であり、子供は教育を受ける権利があるだけである。
 そうすると権利だからと往々にして乱用する。
 面白くない授業だと騒ぐとか、はたまたサボるとか、権利を放棄して得意がるとか…
 いいでしょう。時代は自己責任なんです。
 つまり勉強せず、いろいろなことに分らないことをそこらじゅうに残して社会に出ていく。
 そうすると文脈の中に分らない言葉が沢山でてきて、意味が分らなくなり、トンチンカンになったり、落伍して職を失くしたりする…

 いろんな無駄なことを覚えたり考えたりして研鑽してきた人は、Aが無駄になってもBやCやD…がある。
 そしてそこでパフォーマンスを納めていけるのである。
 できる人は、リスクをヘッジする沢山のリベラル・アーツに囲まれているのである。
 学生として、社会人として、深いリベラル・アーツを身につけた人には、豊かな選択肢と豊かな人生がある。
 どんなに年を取っていても、今日は明日の自分より若いのである。
 今、この瞬間を一所懸命勉強して未来に向いましょう。

理事長  井上 健雄

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