価値混在のなかでの協働【5月】
2018/5/8(火)
今、世の中は、コラボレーションの結果による解が求められていると思います。
でも、どうもうまく動いているようには見えません。
協働といえば、個性的な考え方や働きを、それぞれが本音で出して、それらが高いレベルに止揚※してソリューションを創りあげていくものです。
しかし現状は、コラボレーションという名の取り組みであっても、ある団体の一担当とか、また権威の名を借りた偽者とか…が仕切っている狂動もある。
また、悪意などないのだが、古い価値観を振り回し、遅れている知識でもって、分け知りに仕切るなど、無知の弊害等も多い。
それでも、各自がいい仕事をしていると錯覚をしているから、厄介だ。
但し、いい出来の人は、会話の中から自分の主張についていろいろアンテナを張っており、客観化する能力に長けている。
つまり、話しあう程に分りあえ、うまい協働をできる人もいる。
厄介な人は、イノベーションに縁遠い職種であったり、内部プロセスに時間を要するセクションの人である。
閉口するしかない。
その上、これらの人がネットワークの充実とか言うのだから、呆れる。
ネットとは、上下のない平等の世界なのに、お上意識で取り組むのである。
これらの人への対処は、フォロワーシップと、高次の目標を再確認して、方向性を一致させることである。
こうした価値混在の中での取り組み指針は、一つは、伝統を知り、それを学び、実践していくことである。
例えば、日本で1300年もの間、繰り返されてきた「式年遷宮」などである。
20年毎に遷宮を行うことで、技術の継承がうまく進む単位である。
(現在のように長命の時代は、あと10~20年延ばしても、と考えたりもするが…)
このように良い伝統を守り、継続する価値もあれば、一方で、改革が求められている世界もある。
教育である。
労働者として、言われたことをしっかりやり遂げることができる人。
管理者となって、労働者を「ニコポン」で運営する人。
こんな人々を作ってきたのが、今までの教育である。
しかしこれらは、ロボットやAIがやってくれる時代になります。
言われたことをやる、ニコポンマネジメントはもう要らないし、障害にさえなります。
ではどうするか。
「スクール」から離れることが、解決手段となります。
つまり「アンスクーリング」です。
もう子供たちにお仕着せのプログラムは不要です。
彼・彼女らに必要なのは、セルフディレクテッド・ラーニングとすべきなんです。
自分で学びたいものを決めて、どのように学ぶかも自分で決めるのです。
すべて自己決定です。
アンスクーリングとは、学校の枠組みを超えて「生きると学ぶ」が同軸にあるものです。
まとめると、みながまっさらの目で見る、まっさらに考える、まっさらに協働を試みる。
これらを実行することで、価値混在の中においてもみなが認めあい、リスペクトしあえる、パフォーマンスの高い社会の実現ができるのではないでしょうか。
そして詰まるところ、クリエイティビティとパッションが個人の最強の武器となり、価値混在のなかでのリーダーシップとなるのだと思います。
※止揚(独 aufheven)
事物が発展する場合、低い段階の否定によって高い段階へ進むが、その時も低い段階の実質は保存されることをいう。
理事長 井上 健雄