刻船求剣
タイトルは呂氏春秋に出てくる言葉である。
(意味)
船に乗っていて、ある武士が自分の剣を川に落としてしまった。
その時、船の縁に傷をつけ、「ここだここだ!」と目印にした。
そこで剣を探したのだが、剣は出てこなかった…
その時、船の縁に傷をつけ、「ここだここだ!」と目印にした。
そこで剣を探したのだが、剣は出てこなかった…
船が動いており、川は流れているのだ。
目印の傷がどんな意味を持つのだろう。
碇泊しているならまだしも…
なんて、無駄なことをやっているのだと皆さんもお思いになるだろう。
しかし日本の失われた20〜30年を考えてみると、「おやっ!」と考え込んでしまう。
1980年頃「ジャパン・アズ・ナンバー1」と囃(はや)されていたものが、「パッシング」から「ジャパン・ナッシング」になって久しい。
つまり政府も企業も「船端に剣を求む」しかやってないからである。
これは国や企業が阿房だからと笑っていられない。
私たちのよって立つ国や企業が阿房で私たちが賢いは、なかなか成立しない話である。
1975年、マンデルブロさんが自己相似形フラクタルという概念を提示している。
端折って言えば、どんな微小な部分をとっても全体に相似しているという概念である。
国・団体が阿房なら、その個人だって阿房である。
つまり私たち一人ひとりは、阿房の連鎖から抜け出ているか、そして新しい仕事を創りだしているかを考えねばならない。
そして集団の中身もチェックしなければならない。
- 何年も昔のままでないか(売上も組織も人も…)
- 働く人の多様性(男・女・国・言語…)がふえているか
- 新しい仕事がふえているか
- 古い経験に固まった人がリーダーになっていないか
- アジアに橋頭堡を築いたか
こんなチェックを胸に、11・12月を迎え、H25年度の便(よすが)を創造したいと思う。
理事長 井上 健雄